作家のきもち@鎌倉文学館

特別展「作家のきもち」

@鎌倉文学館

 

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特別展では作家の「きもち」を軸に、日記や手紙を中心に展示してありました。


以下、印象に残っている展示です。

 

 

正岡子規

 

或絵具(あるえのぐ)と或絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思ふやうな色が出ないと又他の絵具をなすつてみる。

同じ赤い色でも少しづつの色の違ひで趣きが違って来る。

いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいふものを出すのが写生の一つの楽みである。

神様が草花を染める時も矢張(やはり)こんなに工夫して楽んで居るのであらうか。

「病牀六尺 八十九」(明治35年8月9日)

 

 

 

高見順

 

いま出版されている戦時中の私の日記、あれだって同じだ。

活字にされ、出版されているものは、情熱の灰だ。

あの日記は、あの当時、ああして書いていることのうちに「充実」があった。

「解放」と言ってもいい。

「救い」と言ってもいい。

書くこと自体のうちに、目的があった。

残っているのは灰である。

この日記も、書くことのうちに「救い」がある。

「危機」と言うと、日記を書く。

高見順 日記(昭和39年12月21日)

 

 

 

太宰治

 

早く、早く、私を見殺しにしないで下さい

きっと よい 仕事 できます

太宰治から川端康成あて封書(昭和11年6月29日)

「晩年」献呈の礼状への返信で第3回芥川賞受賞を切望。

 

 

このたび石原氏と婚約するに当り、一礼申し上げます。

私は、私自身を、家庭的の男と思ってゐます。

よい意味でも、悪い意味でも、私は放浪に堪へられません。

誇っているのでは、ございませぬ。

ただ、私の迂愚な、交際下手の性格が、宿命として、それを決定して居るやうに思ひます。

小山初代との破婚は、私としても平気で行ったことではございませぬ。

私は、あのときの苦しみ以来、多少、人生といふものを知りました。

結婚といふものの本義を知りました。

結婚は、家庭は、努力であると思ひます。

厳粛な、努力であると信じます。

浮いた気持は、ございません。

貧しくとも、一生大事に努めます。

ふたたび私が、破婚を繰りかへしたときには、私を、完全の狂人として、棄てて下さい。

以上は、平凡の言葉でございますが、私が、こののち、どんな人の前でも、はつきり言へることでございますし、また、神様のまへでも、少しの含羞もなしに宣言できます。何卒、御信頼下さい。


昭和十三年十月二十四日

津島修治

太宰治から井伏鱒二あて封書

 

 

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