辻音楽師の美学@三鷹市美術ギャラリー

太宰治生誕110年特別展
辻音楽師の美学
三鷹市美術ギャラリー


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4メートル超えの手紙や初版本など、多くの貴重な資料を見ることができました。

 

中でも、志賀直哉たちとのやり取りをじっくり見ることができたのは嬉しかったです。
懇願の手紙の文章はまさに「太宰節」で、まるで小説の一部を読んでいるような気持ちになりました。

 

芥川龍之介の『或旧友へ送る手紙』(親友久米正雄に宛てた手記)も展示してありました。
「ぼんやりした不安」の一節が記されているものです。
字がすごく細かくて丸文字で、心の衰弱を感じました。

 

また、田村茂さんが撮影された太宰さんの写真は、太宰さんが演じた「太宰治」を味わうことができ、胸が苦しかったです……。

 

 

以下、展示解説で印象に残った部分です。
(そのまま引用した部分と、私がまとめた部分があります)


志賀直哉太宰治には、近代の小説文体をめぐる根本的な考え方の違いがある。
志賀直哉が「自分」を主語にした、簡潔な写実文体をつくりあげていったのに対し、太宰が目ざしたのは読み手へのサービスを意識した「語り」の文体だった。』

『〈自分〉を主語に「ひとりごと」を展開していく志賀直哉
『常に読み手の反応を気にしながら書いていく太宰治


『太宰文学が世界に通用することを理解していたのも川端だった。
川端は、親交の深いドナルド・キーンの翻訳で「斜陽」を出版することを美知子に依頼している。』


『太宰は、友人宛ての手紙は葉書や便箋、原稿用紙にペンで書くことが多かったが、佐藤春夫川端康成など大先輩に対しては、筆を使って墨で書いている。
芥川賞懇願の書簡はその文面を400字詰原稿用紙に換算すると、佐藤宛ての4メートルのものが3枚弱、さらに長い川端宛てのものでも1枚半程度。
巻紙に筆で書くという行為そのものが、書き手の厳粛さを伝える演出として重要な意味を持っていた。』


『一連の騒動は、太宰自ら「太宰治」を演じてみせた、一つのパフォーマンスだったという見方もできる。』