月岡芳年「月百姿」@川崎浮世絵ギャラリー

発行135年記念展

月岡芳年「月百姿」(後期)

@川崎浮世絵ギャラリー

 

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月岡芳年といえば血みどろ絵の印象が強かったのですが、今回展示されていたのは「月百姿(つきのひゃくし)」。

この十五夜の時期に見ることができ、より特別な想いで鑑賞できました。


「月百姿」では、美しく輝く月が描かれているものや、月の姿がさりげないもの、月明かりだけのもの、月が直接描かれていないものなど、様々なバリエーションで月が表現されていました。


その中でも、私のお気に入りを挙げてみました。

 

 

◆月百姿/名月や来て見よがしのひたい際 深見自休

 

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画像では分かりにくいですが、着物の黒い部分に摺りで市松模様が描かれています。

 

 

◆ 月百姿/常にこそ曇もいとへ今宵ぞとおもふは月の光なりけり 玄以

 

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「いつもは曇り空は好きではないのだが、今夜の曇り空は、月の光の有難さを教えてくれる」という意味だそうです。

詳しくはこちら↓

https://www.touken-world-ukiyoe.jp/mushae/art0011960/

 

 

◆ 月百姿/ほととぎすなをも雲ゐに上くる哉 頼政とりあへず 弓張月のいるにまかせて

 

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源頼政近衛天皇を悩ませた鵺(ぬえ)を退治した時のこと。

近衛天皇は、刀・獅子王頼政に与えることにした。

宇治の左大臣藤原頼長がそれを受け取り、頼政に与えようとした時、ほととぎすの鳴き声が響く。

藤原頼長が「郭公(ほととぎす)名をも雲井にあぐるかな」(あのほととぎすのように、宮中にその名を知れ渡らせたなぁ) と詠むと、頼政は右ひざをつき左の袖を広げて月を横目に見ながら「弓張月のいるにまかせて」(弓に任せて矢を射たまでのことです)と下の句を返して刀を受け取り退出した。

……という場面の一枚です。

引用↓

https://blog.goo.ne.jp/moonshine14/e/187e479bcabd58479d991c0128c1e6a4


源頼政が見上げている姿で月を表しているのが粋でたまりません。

 

 

◆ 月百姿/雨中月 児嶋高徳

 

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後醍醐天皇隠岐へ流される時、児嶋高徳は途中で天皇を奪回しようとするものの、それを実行することはできなかった。

そのため、桜の木を削り「天莫空勾践 時非無范蠡」(天が古代中国の越王 勾践を見捨てなかったように、范蠡のような忠臣が現れて 必ず帝をお助けする事でしょう)と書いた。

天皇が木の前を通った時、周りのものは書いてあることが理解できなかったが、天皇はそれを見て微笑んだ、というエピソードのもの。

引用↓

https://blog.goo.ne.jp/moonshine14/e/f3f4202a443336212dd5ed574070a9e2


ギャラリーでは、ピックアップされた作品による人気投票が行われており、私はこちらの作品を選びました。

 

 

「月百姿」の他にも、夜の場面や月が描かれている作品が展示されていました。

 


◆松竹梅湯嶋掛額 八百屋お七

 

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井原西鶴の『好色五人女』でも取り上げられている八百屋お七

八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる女性です。

縦長の二枚続きで、生で見ると迫力がありました。

 

 

義経記五條橋之図

 

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五条橋で戦う牛若丸と弁慶の絵です。

二人の躍動感と真ん中で大きく輝いている月が印象的で、とても好きな一枚です。

 

 


駅から近いにも関わらず混雑していなかったため、じっくりと見ることができました。

また訪れたいです。