日独交流160周年記念
Ein preußischer Japaner
「プロイセン気質の日本人——明治の外交官・青木周蔵の横顔」展
@久米美術館(目黒)
青木周蔵(1844~1914)は、伊藤博文内閣の外務大臣・井上馨のもとで条約改正交渉などに尽力した、明治・大正期の外交官として知られています。
長門国の医者の家の養子となった青木は、明治元年に医学を学ぶ目的でドイツに留学しますが、政治学、経済学へ転向、日本の近代化に志を強くします。以後は外交官として、またプロイセン貴族令嬢のエリザベートとの結婚を通して、生涯にわたりドイツとの関わりを深く持ちました。
(久米美術館HPより)
気になっていた展示を見てきました。
中でも印象に残っているところを書き留めておきます。
■普国留学辞令書 明治3年
紙にドーンと「普国留学」と書いてあるのを見て、テンションが上がってしまいました。
■『米欧回覧実記』より「プロイセン概略」
「日本がプロイセンというくにの名前を知ったのは、いまから19年前、わが安政二年の秋に、プロイセンの軍艦がはじめて長崎に入港した時のことであろう。其七年後、1861年1月にプロイセンとの和親条約を結んだ頃には、わが国の人々はプロイセンがヨーロッパにおいて強国とされていることを聞き知っただけであった。」(57巻)
『現代語訳 特命全権大使 米欧回覧実記』
■ 青木周蔵が受章した勲章
すごくかっこよくて、ドキドキしながら見ました。
勲章は、
日本
トルコ
のものでした。
■憲法制定の理由書
■大日本政規
以前から木戸孝允よりプロイセンの行政法などの調査を命じられていた青木周蔵は、 岩倉使節団副使として各国の憲法調査を行い、ロンドンに滞在していた木戸からプロイセン憲法の調査の依頼を受けました。それに従い、『憲法制定の理由書』などを起草しました。
同じく副使としてドイツを視察し、 ビスマルクとの邂逅により立憲主義に基づく国家体制を志向しながら、その道半ばで1878年に暗殺された大久保利通の意思を継ように伊藤博文は憲法制定に取り組みました。青木は、憲法調査の目的でドイツを訪れた伊藤博文にグナイストを紹介しています。自伝に収録されている憲法をめぐるヴィルヘルム1世との対話からも青木の考えを窺い知ることができます。
(図録P33より)
小ぢんまりとした美術館ではありましたが、興味深い物がたくさん展示されていました。
図録も購入することができ、大変嬉しかったです。
企画してくださった方々、ありがとうございました!