横浜開港資料館開館40周年記念企画展示
七つの海を越えて
1期:「鎖国」下の日本とイギリス
@横浜開港資料館
久しぶりの横浜開港資料館。
日時指定の事前予約制ですが、「当日、定員に空きがある場合のみ当館受付窓口で入館チケットをご購入いただけます」とのこと。
私は予約して行きましたが、人が少なく快適でした。
予約が1時間で区切られていたので、常設展示は軽く眺める程度にして、企画展示に時間を使いました。
以外、メモのまとめです。
(書き間違い箇所があるかもしれません。ご了承ください)
□展示はアルマダ海戦から始まる。
□イギリス人ウィリアム・アダムス、1600年に来日。
オランダ船の水先案内人となる。
スペイン領メキシコと交易ルートを開きたかった徳川家康に重用された。
外交顧問となる。
□1600年、アジアとの交易を目的とするイギリス東インド会社が設立。
1613年、平戸(長崎)に商館ができる。
毛織物の売り上げが不調で、1623年、わずか10年で日本貿易から撤退。
□オランダは1609年にすでに商館を作っていた。
□1630年、鎖国。
ポルトガル・スペインの来航は禁止していたが、それ以外の国に対しては方針を示していなかった。
□16〜17世紀
日本の銀を求めて外国船が来航。
石見銀山。
1668年、輸出禁止。
□17世紀後半から、銅が主な輸出品に。
足尾銅山。
□オランダからの報告で、イギリスの清教徒革命(1642〜49年)なども把握していた。
□イギリス国王とオランダ王女が結婚していたことが、リターン号拒絶の一つの原因となった。
□1720年 西川正休編『長崎夜話草』より
イギリスは日本と土地柄が似ている。
イギリス人はオランダ人よりも「義」が強く、貧欲ではない。
世界情勢を見極める力がある。
□ドイツ人ケンペル『日本誌』
1727年にロンドンで発行された英語版で、初めて世に出た。
□1704年 サルマナザール『台湾誌』
ロンドンで発行された、日本に関する「偽書」。
作者はフランス人だが、キリスト教に改宗した台湾生まれの日本人だと名乗り、空想によって捏造した台湾と日本の情勢をイギリスで講演した。
偽書ながら、日本人のイメージ形成に影響を与えた。
□千島諸島
アイヌによるラッコ猟が盛んだった。
当時毛皮がよく売れたため、イギリスやロシアの商人も注目。
□1808年、フェートン号事件。
□1814年、日本初の英和辞典が完成。
□1820〜40年、イギリス・アメリカの捕鯨が開始されるとともに、小笠原諸島が補給基地として注目。
□1825年、異国船打払令。
□イギリスの武器を見た日本人の記録。
剣はどれも薄い作りで弱々しく、打ち合いには使えないだろう。
展示スペースは広くないものの、キャプションが丁寧でじっくり楽しむことができます。
見に行けて良かったです。
7月半ばからは2期(幕末期)の展示をされるそうなので、そちらも見に行きたいです。